新聞・テレビはオールドメディア、SNSは「ドラッグメディア」だ

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ネットといえばSNS

昔はWEBといえば、「WEBサイト・ブログ」でしたが、最近は「SNS」という認識になりつつあります。
これも時代の変化なのでしょう。私も一時期は「SNS運営のコンサルティング」をメインの業務とし、いくつかの企業さんの運営に関わることがありましたが現在はSNS広告運営の傍ら「ついでに」配信代行を行うくらいでこの業務はすっかり手を引く形となりました。しかし世間では「SNS運営代行業務」は花盛り、有名無名、怪しさ満点のコンサルティングをはじめ求人広告でも「SNS運営代行業務」は引く手あまた、しかもきちんと数値でデータ化しKPIを立てて(って使い方でいいのかな?)WEBサイトのアクセスレポートのようにデータ化しています。
またそれと並行してSNSユーザーも増加の一途をたどり最近ではユーザーの低年齢化が目立ちます。芸能人や政治家、政府機関や軍隊、交通機関などもSNSを運営することが当たり前になりました。本当に時代が変わったなぁと実感しています。しかしこうしてSNSが当たり前に浸透している一方で、世の中に漂う不気味な危うさを覚えるのです。

SNSがドラッグメディアであると感じる理由

SNSはユーザーに刺激を与え続ける反面、思考力を奪い続けます。このインパクトは新聞・テレビなどのオールドメディアの比ではありません。
SNSを利用する主なデバイスであるスマートフォン、この小さな画面いっぱいに動画や文字、画像が視覚を覆い尽くし展開されるときの没入感は凄まじいものがあります。
例をあげると若い方を中心に支持されている中国生まれの動画系SNS「TikTok」ですが、これはインスタグラムと違い全て縦動画しかアップロードできません。スマートフォンの画面いっぱいに広がる短い動画が次から次と途切れることなく音と映像でユーザーの視野と聴覚に刺激を与え、思考を奪い、脳を絶えず刺激し続けるのです。やがてこの刺激に快感を覚えるようになったユーザーの脳は指一本で得られる快楽を求めただひたすら「TikTok」を視聴し続けるのです。これをドラッグと言わず何と言えばいいのでしょうか?
これは「TikTok」だけの問題ではなくSNS全般に言えることなのです、特に動画系のSNSにおいてこの傾向は顕著であると言えるでしょう。
そのせいでしょうか?最近は仕事でもメールを読めない、書けない人が増えた(つまり文章が書けない、読めない)ように感じることが多くなりました。
これもSNSの影響で思考力を失いつつある証左なのでは・・?

自分で選んでいるつもりで実はSNSにコントロールされていることに気づいているだろうか?

最近、こう世間の動きは「画一的」であると同時に社会的なつながりが希薄になっているように感じることはありませんか?
(とHSPとADHDを併発させているコミュ障、人嫌いの私がこんなことを言うのもあれですが)
ここ数年何かこの傾向が顕著であるように感じるのです。
前述した通りSNSがユーザーに与えるインパクトは強力です、一方でユーザーに都合のいい情報を与えるために最適化し続ける「レコメンドシステム」のインパクトも見逃せません。
ユーザーのタイムラインはユーザーが好む情報を与え続け、好まない、あるいは都合の悪い情報は極力排除するように作られています。思考力を失い、自分が快感を覚える都合のいい情報ばかりを摂取する、その結果どうなるかというと、自分がまるで全能になったかのような錯覚を覚える人が増え続けることになるのです。
そのため「SNSは全能である絶対に正しい」と勘違いし、「SNSによく取り上げられる情報は正しく、優れていると評価される製品はその通りだと肯定され、港区女子やキラキラ女子(タイピングするだけでも悪寒がしますが)が生まれ、SNSにアップされている情報どおりに自分もそうならなくてはいけないと思い込むユーザーが狂騒を生む」というスパイラルが生まれ続けています。

一方でここのタイムラインはレコメンドシステムによりバラつきがあります。それによりユーザーの正義や倫理にもバラつきが生まれ社会的な正義や倫理にも一体感がなくなり社会的なつながりが希薄になっているように感じるのです。自転車に乗っていても感じることはよくあります。自分たちだけのルール以外の交通ルールやマナーなどはどんなに周りの車や自転車に迷惑をかけようがお構いなし、「ネットでそう言っていたから」「自分たちが楽しければいいから」「SNSでウケればいいから」とすごく視野の狭いサイクリストが増え続けているように感じます(とはいえ、そうならないように私自身気をつけていかなくてはと考えています。なんせコミュ障ですから)

余談ですが、先日愛媛県大三島の大山祇神社にサイクリングに行ってきたのですが、大三島を一周している間ほとんど自転車を見ることがありませんでした。冬で自転車の数が少ないということもあったのですが「サイクリストの聖地」(これもタイピングしてて悪寒が走るなぁ)沿いの道路、というか県が推奨しているサイクリングルート以外で自転車を見かけることがありませんでした。

これは思うのですが、
・推奨ルート以外に自分たちでプランニングしてルートを開拓しようと思うユーザーが希薄なこと
・観光ガイドに載っている有名な撮影スポットでSNSに投稿をアップすればいいと考えるユーザーばかりであること
この2つが考えられます。
要するに「自分たちで考えることをしない」のと「SNSのことしか頭にない」人たちばかりではないかということです。
(あるいは単純に時間がないとかね、でもせっかく走りに来ているのに決められたルートだけを走るってのも寂しいなぁと思ったりもします)

話を戻しますと「自分で選んで考えているつもり」なんだけど、実は「SNSの影響を受けて考えることをしていない」というのが現実なのではないでしょうか。
次に「SNSによりユーザーをコントロールすることの実態」について述べてまいります。

斎藤知事の選挙で露呈したこと

今回の兵庫県斎藤知事の選挙は「新聞・テレビなどのオールドメディアの敗北であり、SNSをはじめとするインターネットメディアの勝利である」と高らかにネットメディアの勝利宣言が叫ばれましたが、その後PR会社による周到なメディア戦略の結果であったことが判明し現在も論争の真っ只中であることは皆さんもご存知の通りです。
ではPR会社によるメディア戦略とはどのような内容だったのでしょうか?ご丁寧に社長自身が懇切丁寧に解説してくれたおかげで不正選挙の可能性とその具体的な手法が明らかになったわけですが、その内容がこちらです。内容が改ざんされないようにWeb魚拓になっているアドレスを掲載しておきます。(楓さんキラッキラに輝いてるなぁ)

https://megalodon.jp/2024-1121-0124-57/https://note.com:443/kaede_merchu/n/n32f7194e67e0

まさにプロの仕事です(デデーン!とは言えまぁまぁ基本的なことではあるのですが)。ただ少なくともメディアを通じて私達が受け取る情報はこうやって誰かの手により加工されているという事実は変わらないわけであり、それはSNSでも同じである、いえ、むしろSNSだからこそ加工した情報を矢継ぎ早に配信することでインパクトのある情報をユーザーに届け、リアリズムを演出することが出来たわけです。SNSだからこそのメディア戦略と言えますね、ということは・・全国にいる無数のSNS運営コンサルティングたちの手により、「無数の情報が」「無数のSNS広告が」「加工され」「ユーザーの特性に最適化され」届けられ、SNSのシステムそのものもまた日々ブラッシュアップされ私達の手元に情報が配信されているわけです。どうです?これでもまだあなたは本当に「自分はSNSにコントロールされてはいない」と言い切れますか・・?

イチローの発言の真意とは?

って思っていたところつい先日イチロー氏による「データに支配洗脳されている。目に見えない大事なこといっぱいある」発言が話題を集めました。
私学年だけはイチロー氏と同じなので(あとフランスのジダン氏とボブ・サップ氏と、あ?ご存知ない?)氏の仰ることはよく分かる(つもり)なのです。
要するに「頭でっかちになって自分で考えないのはいかんでしょ、自分で考えて工夫していかないと身につかないでしょ」とおっしゃっているわけです。
これは本当に大事なことだなぁと思います。
スポーツでも勉強でも仕事でも、「考えてやってみて失敗して成功した」というプロセスを経て身についたものって絶対強いんですよね。
それがプロスポーツの世界だけでなくアマチュア選手や私たちの日々の生活の中でも、みんなが「楽に簡単にネットで見たこと聞いたことだけで分かった気になって表面上のものすごく薄っぺらい部分だけで理解したつもりになっている」。これはすごく危険なことだと思うわけです。
驚いたんですけど最近はF-1でも「そのコーナーはあと10cmイン側で走れるよ」とか「立ち上がりでもう少しアクセルを踏んでいけるよ」とかピットから無線で指示というか指示ですかねぇ言われるらしいのです。コーナーでアクセルをどのくらいまで開けられるかなんて「路面状況、タイヤのグリップ、サスペンションの具合等々」無数の変数の中から最適とドライバーが判断して行うわけです。それをピットから知ったような口調で指示されたらそりゃ角田選手もブチ切れますよね。
話が脱線してしまいましたが「自分で考える・試行錯誤すること・その中から得る経験や知識の大切さ」このことを忘れてはいけないなと思うんです。
しかしSNSは「情報にインパクトがあり、都合のいい情報ばかり与えられ、脳が快感を覚えて強い中毒性を持ち、人が持つ思考力を奪ってしまう」
SNS全盛のこの時代ですが、私達はイチロー氏の発言にもう一度じっくりと耳を傾ける必要があると強く思います。

有識者、政治家はSNS規制に向けて取り組んで欲しい。

少し極端なことを言いますが、例えば幼稚園か小学生くらいのお子さんがいらっしゃる親御さんがお子さんに麻薬や大麻を日常的に与えるでしょうか?強い中毒性があり健康を害することがわかっていれば与えることはありませんね。でもスマホを与えるということはお子さんに麻薬や大麻を毎日与えるのと同じことなのです。
また、どこの誰かわからない人間とお子さんを密室でふたりきりで会うことを許可しますか?相手は子供に色んな意味で強い興味があったり犯罪組織の構成員かもしれません。でもスマホをお子さんに与えるということはやはり同じことなのです。
最近はお子さんが被害者になってしまう痛ましい事件が起きたり「闇バイト」などという犯罪の斡旋行為が日常的に行われています。
目先のお金欲しさに安易に売春行為を行う若い女性も後を絶ちません。港区女子などという中身のない上っ面だけのスカスカな人間がもてはやされるなど異常です。インフルエンサーなど価値も中身もない発言と行為になぜ振り回されるのですか。全部が全部とは言いませんがその一端に「スマホ」「SNS」の存在があるのは明白です。
スマホとSNSが登場したときその利用者は主に社会人でした。彼らはネットリテラリーも経験上ある程度持っていましたし社会的な常識も持っているいわば「ネット業界の住人たち」ばかりでした。ですからスマホとSNSは新しいデバイスとメデイアとして注目され、一般人は羨望の眼差しで見つめていたのです。
(大げさかもしれませんが現Xがツイッターが英語版しかなかったときは本当にWEB業界でもごく一部の人々しか利用していなかったのです)
しかし時代は変わりました、道具の正しい扱い方を知らない素人の人たちがナイフや鉄砲を振り回しているような危なっかしい世の中が今の現状です。
言論の自由とか個人の権利とか、それらしいことを言って反対する人がいるかもしれませんがそれではもう遅い、今からでもSNSの危険性を改めて世の中に周知しSNSの規制に取り組むべきだと強く思います。

まとめ

というわけで2024年のブログはこれが最後です。久々に長い文章となりましたがいかがでしたか?少し内容的に物議を醸す内容となったかもしれませんね。
ただ今の日本って何かタガが外れてしまっているような危うさを感じることがありませんか?そこにスマホとSNSは関係ないとは言い切れないと思うのです。
少し話は飛びますが来年からの世の中では「自分で考えて判断し行動する」ことができる人とできない人で大きく進む道が別れていくと思います。SNSはあくまでツール、依存するものではないのです。
来年はSNSから距離を置き、もっと自分の内面と向き合う時間を作ってみてはいかがでしょうか?きっとSNSでは得られなかった充足感と安心感を得られると思いますよ。
最後におまけの一言「ロードバイクに乗る人は

まずはまっすぐ走る練習から始めよう

」あとだから新聞・テレビなどのオールドメディアは信用していいというわけではありませんよ、老害世代を見ればおわかりですよね。
ではでは。