あくまで個人的な意見として、ホンダのF-1撤退は正解だった。

あくまで個人的な意見として、ホンダのF-1撤退は正解だった。

書こうか書くまいか、ここ数日もやもやしてたこの話題、セナプロ世代としてはやはり書かないわけにはいかない!と決意してあくまでも本当に個人的な1モータースポーツファンとして、私の個人的な見解を述べさせてもらおうと思います。
読んでみて意に沿わない内容でも苦情は一切受け付けません。

目次

そもそも現在のF-1自体に魅力がないし、いいことなんてない!

とにかくこれですね、参戦してもいいことない。

現在参戦中の自動車メーカーは、
・フェラーリ
・メルセデス
・ルノー(日産?)
・ホンダ
の4メーカーです。

BMWもトヨタもフォードもポルシェもアウディも(あとランボルギーニとマセラティとVWも)参戦していません。また昨今のレギュレーションに伴うエンジン開発・製造コストはうなぎのぼりで、プライベーターのエンジンコンストラクターが入り込む余地のない世界となってしまいました。
(無限ホンダ、ジャッド、ハート、コスワース、懐かしいですね。 そういえばヤマハも参戦してあと一歩で優勝!というところまで行きました)

また参戦に伴う開発競争で得られる技術が、市販車に活用できるでもなく、かといって競技として競争を促すものかと言うとそうでもなく、実に中途半端です。

結局、バーニー・エクレストンを中心としたFIMマフィアと一部の自動車メーカーの思惑のためにレギュレーションがいじくられ、結果自動車メーカーは参戦する意義を見いだせず、競争は失われコストだけが増えていくという現状を迎えるに至ったわけです。

消費者はもうF-1とかどうでもいい。速い遅いとかどうでもいい。

F-1が日本国内でブームだったのは録画とはいえ、全戦フジテレビが地上波テレビで放映してたこともあったんですけど、今はもうテレビで放映なんてしませんし、夜のスポーツ番組でも取り上げることもなくなりました。

当然現在はネットでフリー走行から決勝まで詳細な情報が手に入りますが、月曜日に職場や学校で「昨日のF-1面白かったなぁ!」なんて話題になることなんてありません。あったらそれはマニアです。

そう、モータースポーツはマニアのものになってしまったのです。若い世代やN-BOXやFREEDに乗ってる奥様方はどうでもいいし、ホンダがF-1に参戦している意義とかどうでもいいのです。それより「安価で燃費がよく使い勝手のいいクルマ」を手にできればそれでいいのです。

なのに経営が傾くほどのお金をかけて参戦する意義があるのでしょうか?
今のホンダはF-1から撤退しても、一部のマニアやモータースポーツ関連のメディアが騒ぐだけで(飯のタネが減るので)はっきり言ってなんの痛痒も感じないのです。

大体こういうときに文句を言う人たちって、ホンダの製品を買ってない人達ばかりなんですよね(笑)。私の周りもそうです。
そんなことを気にするより、将来性もなくコストばかりかかるF-1にさっさと見切りをつけて次のステップに進むべきなのです。

これから内燃機関(エンジン)は時代遅れになる。エンジンのない時代のトップランナーを目指そう

話は変わりますが、30年ほど前、インターネットがこれほど普及すると思いましたか?誰もがスマートフォンを手にして、政府や企業のサービスを利用出来て買い物までできるようになるなんて想像出来ましたか?

あの頃インターネットの活用方法なんてたかが知れたものでした。しかし今は私たちの生活をインターネットが支えています。
また30年前と比べると色んなものがなくなったり、見なくなったものが増えました。

私が思うにそれからの時代、モビリティにおいてエンジンという存在は無用の存在となっていくでしょう。
生産コストがかかり、排気ガスを排出し、危険な存在として忘れられてくことになると思うのです。

具体的な根拠はありませんが、自動運転技術の進歩と環境負荷への意識が高まっていることと無関係ではないと思います。
かつて蒸気機関車が電車になったように自動車もその姿・形、利用するスタイルすら大きく変わっていくと思います。
ほんの数十年前まで私たちが想像すら出来なかったネットワークによる社会がここまで構築されたようにです。

そうしたとき、エンジンの生産設備が自動車メーカーにとって重荷になることもありえるかもしれません。
自動車にとっての”100年に一度の大変革”の中身とは、実は「エンジンを捨てること」なのではないかと考えると、今回ホンダが下した決定はまさに正解だったと言わざるを得ません。

過去の過ち(F-1に参戦したこと)を認め、新しい時代の価値観に沿った製品を出す決断は英断である。

実を言いますと、2013年にホンダがF-1復帰を決めたと聞いたとき、いささか唐突な印象を受けました。
マクラーレン(当時のCEOはロン・デニス)から声をかけられたから、よく考えないで決めました、という印象を受けたのです。
また、マクラーレンも「ホンダなんだからいいエンジンをぱっと作ってくれるだろう」とこれまたよく考えないで声をかけて、双方ノリだけで決めてしまったような印象です。

最初に下位のチームと組むのではなく、いきなりマクラーレンと、しかも下位フォーミュラーではなくF-1・・。なんとなく嫌な予感がしたのは私だけではなかったはずです。

案の定、マクラーレン時代は過去最悪の成績となりマクラーレンとは仲違いとなり、かのF・アロンソはあの有名な「F-2エンジン騒動」で二度とホンダとパートナーシップを組むことはなくなりました。

成績が伴わないのは仕方がないのですが、問題はマクラーレン側もホンダ側も「新しいレギュレーションを学ぶ間の勉強期間中の成績不振を良しとしなかった」ことにあります。

もしこうしたことも含めて予算・人員・パートナーとなるチームを選定していたのであればもっと早い段階で良好な成績を収めていたはずですが、そうはなりませんでした。これは他のメディアでも盛んに言われていることですが、参戦を決定する際の「ホンダのリサーチ不足と慢心」が原因といえるでしょう。でなければ事前にプロトタイプの製造やテストチームでのデータ収集もなしにいきなりマクラーレンと実戦に参戦するなどということはありえない。
予算の策定ももっと慎重に行われていたでしょう。

つまり今回のF-1参戦自体が経営的な誤りであったのです。

そうした過ちにようやく気がついたタイミングがいつだったのか定かではありませんが、今回のコロナ禍は撤退のための大きなきっかけとなったのは間違いありません。

もしかしたら今回のことがなければあと数年は参戦が続いていたかもしれません。
しかし上記の理由からもおわかりの通り将来的な観点からホンダはもうF-1に参戦する理由はないのです。
あるとすれば良好なパートナーシップを得たレッドブル・アルファタウリと共に何度か優勝し、もしかしたらドライバーかコンストラクターのチャンピオンシップを獲得出来たことだけです。

でもそれは誰も見ていない山奥の運動会にプライドのためだけに大金をはたいて参加し、一等賞のトロフィーをもらって喜んでいるようなもので、そんなことをしている間にもライバル(トヨタやフォード、BMWなど)は新時代にふさわしいメーカーとしてのブランドと地位を確立し、そこに追いつくために、また1から新しい競争に参加しなくてはいけないのです。

どうせ出遅れているのなら、少しでも早く遅れを取り戻したい。山奥の運動会には時間もお金もずいぶんかけたけど、今ならまだ新しい競争に参加できる。過去の失敗を認め撤退を決意したのにはそうした背景があるのではないかと思います。

コロナ禍が招いた状況は、私たちの意識に大いに働きかけ、大勢の人々の意識を変え社会を変える力となっています。
ホンダがその時代の変化を捉え、新しい時代にふさわしい企業に生まれ変わるべく下した今回の決断は、モータースポーツファンとしては大いに残念ですが、ホンダファンとしては大いに支持するものです。

頑張れホンダ!うちの子も応援してるぞ!!


(↑うちの子。ちゃんとディーラーっ子です)

それではまた?